【教員エッセイ】マンガと教養(4)お金(おかね)その2/茶谷薫


前回、堀尾正太さんの『ゴールデンゴールド』や、ちばてつやさんの『餓鬼』、ジョージ秋山さんの『銭ゲバ』といったマンガ作品を紹介しつつ、お金に対する欲望が尽きない恐ろしさについて書きました。

 

ところでお金とは何なのでしょうか。大昔のアニメーション化されたマンガ作品に、園山俊二の『ギャートルズ』(『はじめ人間ギャートルズ』)があります。そこでは、50円玉を巨大にしたような石のコインが出てきます。その大きなお金をゴロゴロ転がして運ぶという描写は、子ども心をワクワクさせます。ですが、よく考えてみてください。あんなに大きな硬貨は不便です。転がして運んで買物なんて、荷物が持てません。トラックに載せられても、重い石を積むだけで疲れます。

 

もちろん、そんなに大きなお金はありません。そしてお金はそれほど重くもないのです。紙幣も硬貨も小さく軽く運びやすく、そして貯めやすく(=貯金しやすく)、でないと困るからです。ギャートルズの世界のように大きな硬貨は、よほどの豪邸でなければ、数枚〜数十枚で家が一杯になってしまいます。

 

そしてお金を持ち歩かなければ盗難リスクも低くて便利です。だからクレジットカード、電子マネーやビットコイン、というような、貨幣という実物を介さない商取引が便利で、よく使われるようになってきたのです。それが前回記した、お金への際限のない欲望を益々可能にしています。

 

実物のお金の話に戻しましょう。小さくて軽い、となると、原材料費は物凄く安くなります。例えば現在、福沢諭吉が印刷されている、日本では最高額の紙幣を作るのに必要な原価は、額面通りの一万円、ということはありません。もっと安く、百円未満なのです。実は、日本の通貨で額面よりも原価が高いことがあり得るのは、硬貨の一部、一円玉と五円玉に過ぎないのです。百円にも満たないものが一万円の価値を持つ。これって物凄く変なことではありませんか。

 

では、その原価と額面の差を埋めているものは何なのでしょう。それこそが「信用」というものなのです。紙幣を発行しているのは、多くの国々で、ほぼ国の機関といっても良い中央銀行です。例えば日本では日本銀行となります。だから日本のお札には「日本銀行券」と印字されています。当行トップの日銀総裁は国会で承認されるので、単なる民間の銀行とは違います。

 

そして「日本銀行券=日本の紙幣」は、日本という国家が信用保証をしている「金券」と言っても良いのです。スーパーやデパートの商品券と同じです。異なるのはその信用度の高さです。少なくとも今の日本は、経済力も強く、社会的にも安定した国家なので、信用され、だからこそ世界に不安定なことがあると円が買われ、「円高」にもなるのです。

 

一方、戦乱に巻き込まれそうな国、戦争当事国、経済力の低い国等々、信用度が低い国の通貨は紙切れ同然の扱いを受けます。平成の初め頃、湾岸戦争で英米を中心とする先進国から攻撃されたイラクの例を記しましょう。イラクの通貨単位はディナールです。戦争前は、1ディナールが7米ドル前後でした。今の日本でいえば、1ディナールが800円ほどの価値があったことになります。ところが戦争が始まってからというもの、ディナールは暴落。イラク戦争開戦直前の、少し回復した頃でも1万ディナール出しても1米ドルにもなるかならないか、でした。まさにイラクのディナールは紙切れ同然となったのです。

 

お金の価値は絶対的ではないのです。何かがあれば、価値が急落するリスクを孕んでいます。半世紀以上前の日本でも、円という通貨の切り替えと預金封鎖、ハイパーインフレが政策的に主導されたことがあります。数百万円の貯金が、実質的にほぼゼロになる。こういう社会は困りますが、今後も無いとは保証できません。

 

では何が絶対的な価値なのか。私が子どもの頃、こうした体験話を聞いた時、「じゃあ、お金ではなく何が信用できる価値を持つんだろうか」と頭を振り絞って考えました。そして幾つかの、お金ではない価値を思い付き、それを大切にしようと思いました。皆さんも、お金以外の価値について是非考えてみてください。