【教員エッセイ】映画のなかのテクノロジー(1)/津田佳紀


『プレステージ』(原題 The Prestige、クリストファー・ノーラン監督作品、2006年公開)

 

この映画は19世紀末のロンドンを舞台に、ロバート・アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とアルフレッド・ボーデン(クリスチャン・ベール)という若き奇術師達が、お互いをライバルとしながら奇想天外な人生を歩んでいくというものです。SF(サイエンス フィクション)なのに、その舞台は未来や現代ではなく19世紀末という過去の時代に設定されている点が大きな特徴です。つまり、世紀末のロンドンが舞台で奇術師が出てくるという点で、道具立てはどうみてもゴシックホラーなのに、内容は完全に科学技術をテーマにしたSFです。しかも単なるSFを超えて、私たち人間が存在すること自体の意味を問うている鋭さがあり、これは未来に向けて私たちが直面する科学の問題でもあります。

 

映画に登場する奇術師達は、従来の子供騙し的なネタから逸脱して、19世紀末に勃興した『科学技術』を、そのまま奇術のネタとして利用しようとして失敗、あるいは成功するというストーリーになっています。監督のクリストファー・ノーランは、『科学技術』そのものより、『科学技術』をどのように解釈し、利用するかという点に興味を抱いているので、あえて現代の『科学技術』が完成される直前の時代としての19世紀末を舞台にしたのだと思われます。

 

劇中にニコラ・テスラ(Nikola Tesla 1856 - 1943)という科学者がでてきます。彼は交流電流を発明したことでも有名な実在する人物ですが、華々しい科学者としての経歴の裏で、実際には発明王エジソンとの競争に敗れ惨めな最後をおくったとも言われています。映画の中でもエジソンが送りこんだ刺客たちに実験装置を破壊されてしまう様子が描かれています。

 

実はニコラ・テスラにまつわる都市伝説があり、彼は交流電流の発明に続くものとして、物体を無線で遠隔地に送ろうとしたと言われています。このような発明物(テレポーテーション装置)は、ドラえもんの『どこでもドア』のようなものですが、ニコラ・テスラはこれをSFやファンタジーとしてではなく、科学的な研究対象として構想・実験していたらしいのです。この映画はフィクションなので、このような都市伝説が脚色され、誇張されているのですが、劇中アンジャーもボーデンも、ニコラ・テスラに奇術のネタとして、テレポーテーション装置の制作を依頼します。勿論それらは、うまくいったり、いかなかったり、あるいは想定外の結果をもたらしたりするのですが・・・。

 

『プレステージ』という映画は、見終わった後に、私たちに対して多くの疑問と解釈を残します。それについてはまた別のところでお話しするとして、最後にニコラ・テスラ(昨年亡くなったロックミュージシャンのデビッド・ボウイが演じています)が交流電流の実証実験をおこなっているコロラド・スプリングスのシーンについて書きます。全米の何処の地域も未だ電化されていない時代に、ニコラ・ステラによって発明された交流電流システムによって電化されたスプリングスの街がぽわーっと照らしだされるシーンが一瞬だけ映ります(映画開始後43分30秒頃)。これがなかなか美しい・・・、まるで未来社会です。同時にそれを現実化させたニコラ・テスラの『交流電流』は、その発想自体がエジソンの『直流電流』よりも、エレガントで美しいと私は思いました。技術自体に美しいも醜いもないと言う意見もあると思いますが、皆さんはどのように思われるでしょうか。もしこの映画をご覧になる機会があれば、考えてみてほしいと思います。

 

※写真  『プレステージ』(DVD版 ギャガ株式会社)と 原作『奇術師』(ハヤカワ文庫FT刊、クリストファー・プリースト著、翻訳 古沢嘉通)