【教員エッセイ】マンガと教養(5)音で満ちあふれているマンガ 石塚真一『BLUE GIANT』、『BLUE GIANT SUPREME』 さそうあきら『神童』/茶谷薫


現在のマンガは、映画やドラマなどとは異なり、音を表現するのは至難の業だ。しかし、素晴らしい音楽と効果音つきの動画作品よりも、はるかに「音が聴こえてくる」マンガ作品がある。私の中では、『BLUE GIANT』と『神童』が双璧である。前者は続編もあり、現在も人気を博している。これを読んだ学生の中に、「主人公のように練習するんだ!」と宣言した音楽領域の学生がいて、「面白いマンガは、こういう影響力もあるんだな」と感心した。

 

いっぽう、『神童』は古い作品なので知らない人も多いだろう。この作品の中に、耳が聞こえない人のための音楽が出てくる場面がある。それもふくめて、音(楽)で満ち溢れている名作だと思う。

 

これらの作品を思い出すと、必ず頭の中で再現され、最低でも数日以上、何度も何度も頭の中で繰り返す音楽がある。ひとつはマダガスカルの首都・アンタナナリブ(ローマ字読みはアンタナナリボ)の路上で簡単な楽器を弾きながら歌っていた、身体障碍者の若い男の人の歌だ。表現しがたいほど美しい声で、さまざまな感情が伝わってきた。感動しすぎて、時間も仕事に必要なことも忘れて聴き入ってしまった。その後、数日間も、気持ちは上の空で、仕事どころか、歩いていると、しょっちゅう、躓いてしまうほどだった。

 

それからケニアの首都・ナイロビのレストランで生演奏をしていたバンドでヴォーカルを担当していた女の人の歌だ。これも、「喜怒哀楽」という言葉だけでは表せない、多彩な感情の洪水のような歌声で、バンド演奏中も、終了後も、私は食事が喉をとおらなくなった。それだけでなく、何日も仕事が手につかなくなり、先輩によく叱られた。

 

このエッセイを書いている今、彼らの歌を思い出し、その音楽で頭の中がいっぱいになってしまった。『BLUE GIANT』も『神童』も頭の中を音で満ち溢れさせる力がある。気持ちを現実世界から引き離す、素晴らしさと、そして恐ろしさがある。だからこそ、私は普段、意識的に音楽を聴かないようにしてしまっている。

 

その一方で、数日間の感動に浸ることも許されず、仕事や学校生活を淡々と毎日、同じペースでこなし、躓くことない生を求められ、それで経済的繁栄と安全を享受している今の社会は、誰かが言った「豪華な地獄」だと思う。そして、それに合わせて仕事をしている自分が、その社会に染まりきらないようにしないといけない、と感じる。